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①社会学習関連時間
前回記事で宣言したとおり、東京都現代美術館に行ってきました。企画展は「大岩オスカール:夢見る世界」でした。タイトル通り、夢でよく見るようなイメージの作品が多く、たぶん彼は自分が見た夢を材料にして創作したんでしょう。MOTの次回の企画展はジブリのレイアウト展だそうです。
近いうちにもう一度、現代アートを扱う美術館へ行くつもりです。
②研究関連時間
秋の学会へ向け、アブストラクト(発表の概要とか実験結果の傾向とかをまとめた文書)の提出期限が迫っています。本来ならば試験片作製を終え、ばしばし実験を行っている段階ですが、未だ試験片作製方法をあれこれ試行錯誤しています。僕の怠慢と先生の厳しい要求が原因と考えられ、あと2週間余りですが過労ペースで研究を進めていき、なんとか乗り越えたいと考えています。なお先週一週間の研究関連時間は31.5時間でした。今日、同じ大学で他学科の院生である先生の甥の方が来られて、先生と論文の作成について半日以上話し合いをしていました。すごく小山田圭吾に似ていました。目が。
③映像作品製作時間
6月末の上映会へ向け、作品の構想をときどき考えています。上映会がアブストラクト提出期限日から10日後程度とスケジュールとしては密になりますが、僕はやればできる子なので、やろうと思います。先日その意気込みを形にするため、壊れていたIEEE1394を買いなおしました。近いうちに撮影します。
前回記事で宣言したとおり、東京都現代美術館に行ってきました。企画展は「大岩オスカール:夢見る世界」でした。タイトル通り、夢でよく見るようなイメージの作品が多く、たぶん彼は自分が見た夢を材料にして創作したんでしょう。MOTの次回の企画展はジブリのレイアウト展だそうです。
近いうちにもう一度、現代アートを扱う美術館へ行くつもりです。
②研究関連時間
秋の学会へ向け、アブストラクト(発表の概要とか実験結果の傾向とかをまとめた文書)の提出期限が迫っています。本来ならば試験片作製を終え、ばしばし実験を行っている段階ですが、未だ試験片作製方法をあれこれ試行錯誤しています。僕の怠慢と先生の厳しい要求が原因と考えられ、あと2週間余りですが過労ペースで研究を進めていき、なんとか乗り越えたいと考えています。なお先週一週間の研究関連時間は31.5時間でした。今日、同じ大学で他学科の院生である先生の甥の方が来られて、先生と論文の作成について半日以上話し合いをしていました。すごく小山田圭吾に似ていました。目が。
③映像作品製作時間
6月末の上映会へ向け、作品の構想をときどき考えています。上映会がアブストラクト提出期限日から10日後程度とスケジュールとしては密になりますが、僕はやればできる子なので、やろうと思います。先日その意気込みを形にするため、壊れていたIEEE1394を買いなおしました。近いうちに撮影します。
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大学4年目だが五月病である。
毎朝とても無気力感。学校がつまらない。行きたくない。
だがしかし、早く働きたい。つまりもう卒業したい。
大学生をやってることに意味を感じなくなっている。早く次の場へ向かいたい。
研究生活に報酬がないことを不満に思う。
新生活が意外に新しくなかったときは、前のめりの憤りを感じていいと思う。
これは前向きな五月病だ。前向きだから良いかって言ったらそうじゃなくて、きついことばっかで、毎晩すごく酒を飲みたくなる。っていうか飲んでる。
ウイスキーの空き瓶が転がってる。
坂本真綾とToeを聴きながら帰宅する。
毎朝とても無気力感。学校がつまらない。行きたくない。
だがしかし、早く働きたい。つまりもう卒業したい。
大学生をやってることに意味を感じなくなっている。早く次の場へ向かいたい。
研究生活に報酬がないことを不満に思う。
新生活が意外に新しくなかったときは、前のめりの憤りを感じていいと思う。
これは前向きな五月病だ。前向きだから良いかって言ったらそうじゃなくて、きついことばっかで、毎晩すごく酒を飲みたくなる。っていうか飲んでる。
ウイスキーの空き瓶が転がってる。
坂本真綾とToeを聴きながら帰宅する。
今日で就職活動を終えた。
幸いにも今年は団塊の世代と交代的に僕らの世代が社会に出るということで、就職活動はすこぶる快調であり、僕を含め研究室の同級生は進学組を除いて3月下旬ごろには全員内々定を獲得していたと思う。僕はその中でも比較的長期にわたって活動をしていたが、今日十分に満足のいく活動結果が得られたので、就職活動を終える。ここのブログにおける記事でも度々僕の就活に対する思いを綴ったが、今回でそれもおしまいとなった。
超売り手市場と呼ばれた今年の就活は、僕にとっては絶好の機会であり、これを逃すのはFW柳沢くらいしかいないわけで、TVを観ながら不甲斐ない柳沢に叫び狂う僕は当然の如く強気に就活を進めた。強気くらいでちょうどいい選考の甘さなんだ。説明会で言われるのは、英語は入社後になんとかなりますよ、コミュニケーション能力さえあればなんとかなる、ぜひ一緒に働きましょう、みたいな気を使われた言葉達。人事の人は大抵いい人。全然活かせそうにない僕の能力もなんとか大活躍しちゃいそうな夢あふれる企業業績。どこも景気がいい。なんとなくでも1次面接は受かるような勘違いしやすい選考。結果的に最終面接で落ちるような、学生側を困らすことにつながりやすい。今までの思い入れはどこに当てればいいんだと悩む。
そんな今年。僕は何社受けただろうか。数えてみた。合同説明会を除く、企業説明会参加を含めて数えると16社。選考に参加したのが12社。たぶん、技術者を目指す学生のなかでは多い方だと思う。だって12社も受ける前に自分の第一志望に受かるような時世だもの。
なんで僕は12社も受けたんだろう。
それは第一志望という企業がなかったからだろう。就活を始める前、僕は自分自身にある程度の絶望とある程度の期待を持ち、そんなにでかい企業は無理だけど、中小企業なら十分に受かるだろ、と思ってた。そんなわけで、自分に変な抑制力を働かせて、興味津津の企業にはなぜか潜在的に受からないだろうというネガティブな思想を持っていた。つまり志望度が高ければ高いほど、受からないと思いこむところがあった。大企業を受けるときは、あくまで練習の気持ちで受けた。落ちる時もあれば受かる時もあり、合否に関係なく面接の場数を踏み、就活経験を高めることに専念した。(でも受かったら万歳という思いも多少はあった) 第一志望がないと手当たりしだい可能性を見出したくなるわけで、少しでも興味を感じた技術を持つ企業に対しては規模を問わず出来るだけ選考に参加して、選考途中で自問していくかたちで、志望度を確かめた。もちろんスケジュールはぎっちり埋まる。3月のスケジュール表は自慢したいくらい埋まってる。(・・・3月下旬は忙しさに憂鬱になりキャンセルを連発した) おかげで場数は山ほど踏めて4月になると面接にもなれて、どこに行きたいかも言えるようになった。ほとんど反射的に志望動機を言えるようになった。場数はとても重要である。後輩のためにアドバイスを言うが、第一志望の前に志望度の低い企業の面接をいくつか受けておくべきだ。僕の場合は10回くらい受けて緊張を楽しめるようになったと思う。
僕は幅広く企業を受けた。図らずも4月下旬まで選考を受けて、入社を考えていた企業は4社で、それは自動車、航空機、船舶、モーターという男の子が好きそうなジャンルの企業職種が残った。仕事の内容はどれも近くない。なぜか残った。面接でもよく訊かれた(面接では企業名までどこを受けてるのか訊かれる)がなんにでも興味を持った結果なので、そのまま説明した。自分の将来の職種にこだわりがない証明かもしれない。(数か月前までは航空宇宙関連の企業しか頭になかったのに、変な絶望のせいで)
結局、僕は流行に乗っかっていくつか内々定を揃えた。おかげさまでそうなりました。いくつか揃えて感じるこの虚しさ。自慢げだとかいやみのようだとか思われるかもしれないが、本当に虚しい。(僕は自慢も自虐も常日頃するタイプだと思う。)結局行きたい企業に受からなければ、何個そろえようが虚しいだけで、無意味だ。自動車関連の会社の内定者懇親会に出席したとき、僕はなんで自動車に興味がないのにここに来たんだろうと心底思った。もしここしか受からなかったら、僕はここに行くのだろうか。自動車が好きな人はきっとこの会社で楽しくやれるだろうけど、僕はそうじゃなかった。たぶん夢を見て浪人するだろうと思った。じゃあなんで選考を受けたんだ。可能性を確かめるために受けた。そしたら受かった。そんな時代だ。ありがたい。ほんとうに
4月下旬に合否の結果が立て続けにでた。特に今日2個出た。1個は内定承諾するつもりの企業、もう1個は前々回の記事で貶した企業。内定承諾するつもりの企業は数日前から大本命の第一志望で、合否の連絡が期限の1週間ぎりぎりまでこないから、てっきり落ちてるもんだとばかり思って、今日はとても落ち込んでいた。さんざん貶してた企業に内々定出しますと言われ、もうここでいいか、ここに入ろうと思うくらい落ち込んでいた。だから、今日はその貶してた企業の工場を一人で外から一回りして見学してきた。貶した部分を好きになろうと思ってそうした。つくづく悲しい行動をした。内定をコレクションして、結局自分の行きたい企業には入れない人間なんだ俺は・・・と思いながら工場を覗いて回った。無表情で研究室に帰ってきた夜、実験を終えて日報を書いていたとき、電話がかかってきて大本命の企業に受かったとの連絡が来た。貶してた部分を好きになろうとするのはやめた。必要がなくなった。研究室の前で飛び跳ねてガッツポーズした。母親にメールした。帰りにウナギを買って一人で酒を飲みながら食べた。うまい。
超売り手市場だろうと、志望度の高い企業に受かれば泣きそうになるくらいうれしいものだ。楽勝だと思えるのは選考の初めだけ、最終面接で2回連続で落ちた時は自分を呪った。自分の性格を貶した。氷河期と比べれば楽楽なのかもしれないが僕にとっては精いっぱい頑張った成果であって、精神的になににも代え難い経験を得ることができた。支えてくれた人に感謝の気持ちがあふれてくる。就職は自分のためじゃなく、自分の将来を囲む人間たちのためを考えてするもんだと思った。
今日で就活おしまい。おつかれさま俺。
今日、こんなことがあった。
先日ある企業の面接を受けた際、人事の担当者は面接の終りに、なにか質問がありますか?と僕に聞いた。僕は技術者の業務内容に興味があると答えると、人事の担当者はそれに対しすぐ、「じゃあ、その技術者に会わせましょう」と言い、僕のスケジュールを尋ねた。僕は直近で3月19日が空いていますと答えると、「じゃあその日にまた本社で面談を行いましょう」とそれまたすぐに答えた。
今日3月19日。
僕は約束通り本社に向かう。着くとすぐに応接室に通され、そこには船舶向け製品の責任者の技術者の方が待っていた。技術者の方は「今日はなんでも聞いてください」と僕に言い、僕らは1対1の懇談を行った。僕はあらかじめいくつかの質問を考えていたので、それらを質問し1時間程度具体的な業務内容や職場の環境などについての話をした。ある程度話がはずみ、昼が近づいたとき、応接室に総務の方が入ってこられ、「お昼ごはんを食べに行きましょう」と言った。僕は心の中で「マジで」と言った。いや申した。僕はトイレへ向かい、これは・・・まさか・・・と現状を把握しようと頭を回転させた。僕は今日はただの面談だと把握していたので、まさかこんな展開を見せるとは考えてもいなかった。僕がトイレから出ると、技術者の方と総務の方が待っておられ、僕は「お待たせしました」と慌ててバッグを持った。
3人は会社から5分程度のホテルへ向かい、料亭的な和食屋さんに入る。なんていうか、恥ずかしながら僕は、ランチが基本的に二千円程度するお店などには、立ち入った事がなく、まさかの展開にかなりの動揺を感じた。当たり前だが最も安いランチであった魚の煮付けの定食を注文した。食事中に、2人は僕に対していくつか日常的な質問をしたり、自身の業務の話を和やかにお話ししてくださり、僕はそれに対して同様に和やかに答え、雑談を1時間程度した。技術者の方がトイレに立ち、総務の方と僕の2人きりになったとき、総務の方は僕に「とりあえず選考はこれでおしまいです。選考結果は1週間後くらいに連絡します。」とおっしゃった。僕は、一瞬たじろぎ、「わかりました。」と答えた。
ホテルを出ると、総務の方とはここで別れ、僕と技術者の方は2人で駅まで一緒に帰った。(この人は僕と懇談するためだけに甲府の工場から今日は出張していた。)僕らは駅に着くまで雑談し、最近の会社の雇用状況についての話をした。今年はニュースでも多く報じられているように、団塊の世代の技術者が大量に定年退職し、それによって新卒採用がどこの企業においても活発で、特に技術系学生の獲得競争が激しい。小規模、中規模の企業側は学生を確保するのが難しい状況で、内定を出しても、企業が学生に選ばれる立場となり、なかなか採用数を増やせない。今年入社する新卒者も集めるのが大変だった、と技術者の方は僕に話した。何度も会社の人手の足りなさを(面白く)話し、僕にぜひ来てほしいと言うような旨の話をした。駅に着くと、「私はここで待ってますので先にどうぞ」と同じ路線なのだが、その人は僕を見送った。
今日懇談を行った会社は、僕が初めて就活した企業である。
初めて参加した説明会が、この企業のものであり、僕が参加した理由は、早くに選考を開始するので、就職活動の練習になると思ったからである。大企業ではないが決して小さくない企業であり、僕はあくまで勉強のためという理由だけで、この企業の選考を受けた。僕の初めての面接もこの企業のもので、そのとき技術者の業務内容に興味があると言ったことで、今日がセッティングされた。今日出会った技術者の方は、とても素晴らしい方で、いつでも気をつかっているような言葉を話し続けて頂き、あくまでも僕の就職活動の応援をしてくださった。僕は現在、内定はまだないが、最終面接を控えた企業が2つあり、いずれも今日の企業よりも大きく、当初から目指していた仕事内容である。つまり今日の会社は志望度がとても低い。僕はこれを踏まえた上で、気持ち半分で今日技術者の方と話をし、食事をした。
僕は就職活動をなめていた。大学受験の感覚で活動していたことが最大の間違いであった。今日出会った技術者の親身な姿勢を、感じれば感じるほど心が痛くなり、僕は帰りの電車で憂鬱になった。就職活動は僕ら学生が選考を受けるだけではなく、さらに大学受験のように点数や能力だけで機械的に合否が決まるものではない。企業と学生の人間関係の下で、採用が決まると僕は今日痛感した。企業を選べる時代に就職活動をしているからといって、僕には選ぶ倫理観が足りなかったように思う。僕のような生半可な対応が最も残酷で困らせてしまうのだろう。今日は一生忘れられない経験ができたと思う。
先日ある企業の面接を受けた際、人事の担当者は面接の終りに、なにか質問がありますか?と僕に聞いた。僕は技術者の業務内容に興味があると答えると、人事の担当者はそれに対しすぐ、「じゃあ、その技術者に会わせましょう」と言い、僕のスケジュールを尋ねた。僕は直近で3月19日が空いていますと答えると、「じゃあその日にまた本社で面談を行いましょう」とそれまたすぐに答えた。
今日3月19日。
僕は約束通り本社に向かう。着くとすぐに応接室に通され、そこには船舶向け製品の責任者の技術者の方が待っていた。技術者の方は「今日はなんでも聞いてください」と僕に言い、僕らは1対1の懇談を行った。僕はあらかじめいくつかの質問を考えていたので、それらを質問し1時間程度具体的な業務内容や職場の環境などについての話をした。ある程度話がはずみ、昼が近づいたとき、応接室に総務の方が入ってこられ、「お昼ごはんを食べに行きましょう」と言った。僕は心の中で「マジで」と言った。いや申した。僕はトイレへ向かい、これは・・・まさか・・・と現状を把握しようと頭を回転させた。僕は今日はただの面談だと把握していたので、まさかこんな展開を見せるとは考えてもいなかった。僕がトイレから出ると、技術者の方と総務の方が待っておられ、僕は「お待たせしました」と慌ててバッグを持った。
3人は会社から5分程度のホテルへ向かい、料亭的な和食屋さんに入る。なんていうか、恥ずかしながら僕は、ランチが基本的に二千円程度するお店などには、立ち入った事がなく、まさかの展開にかなりの動揺を感じた。当たり前だが最も安いランチであった魚の煮付けの定食を注文した。食事中に、2人は僕に対していくつか日常的な質問をしたり、自身の業務の話を和やかにお話ししてくださり、僕はそれに対して同様に和やかに答え、雑談を1時間程度した。技術者の方がトイレに立ち、総務の方と僕の2人きりになったとき、総務の方は僕に「とりあえず選考はこれでおしまいです。選考結果は1週間後くらいに連絡します。」とおっしゃった。僕は、一瞬たじろぎ、「わかりました。」と答えた。
ホテルを出ると、総務の方とはここで別れ、僕と技術者の方は2人で駅まで一緒に帰った。(この人は僕と懇談するためだけに甲府の工場から今日は出張していた。)僕らは駅に着くまで雑談し、最近の会社の雇用状況についての話をした。今年はニュースでも多く報じられているように、団塊の世代の技術者が大量に定年退職し、それによって新卒採用がどこの企業においても活発で、特に技術系学生の獲得競争が激しい。小規模、中規模の企業側は学生を確保するのが難しい状況で、内定を出しても、企業が学生に選ばれる立場となり、なかなか採用数を増やせない。今年入社する新卒者も集めるのが大変だった、と技術者の方は僕に話した。何度も会社の人手の足りなさを(面白く)話し、僕にぜひ来てほしいと言うような旨の話をした。駅に着くと、「私はここで待ってますので先にどうぞ」と同じ路線なのだが、その人は僕を見送った。
今日懇談を行った会社は、僕が初めて就活した企業である。
初めて参加した説明会が、この企業のものであり、僕が参加した理由は、早くに選考を開始するので、就職活動の練習になると思ったからである。大企業ではないが決して小さくない企業であり、僕はあくまで勉強のためという理由だけで、この企業の選考を受けた。僕の初めての面接もこの企業のもので、そのとき技術者の業務内容に興味があると言ったことで、今日がセッティングされた。今日出会った技術者の方は、とても素晴らしい方で、いつでも気をつかっているような言葉を話し続けて頂き、あくまでも僕の就職活動の応援をしてくださった。僕は現在、内定はまだないが、最終面接を控えた企業が2つあり、いずれも今日の企業よりも大きく、当初から目指していた仕事内容である。つまり今日の会社は志望度がとても低い。僕はこれを踏まえた上で、気持ち半分で今日技術者の方と話をし、食事をした。
僕は就職活動をなめていた。大学受験の感覚で活動していたことが最大の間違いであった。今日出会った技術者の親身な姿勢を、感じれば感じるほど心が痛くなり、僕は帰りの電車で憂鬱になった。就職活動は僕ら学生が選考を受けるだけではなく、さらに大学受験のように点数や能力だけで機械的に合否が決まるものではない。企業と学生の人間関係の下で、採用が決まると僕は今日痛感した。企業を選べる時代に就職活動をしているからといって、僕には選ぶ倫理観が足りなかったように思う。僕のような生半可な対応が最も残酷で困らせてしまうのだろう。今日は一生忘れられない経験ができたと思う。