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今、僕は死ぬまでの目標に向かって日々生きていると人に言える。一方、なにも考えず、なんの哲学も模索せず、ただ思い立った安易な考えにだけ浸っていた高校時代のクソ人間の僕。そんな僕しか知らない高校時代の友人たち。高校を卒業してからの僕は急激に考え方を変化させてしまい、高校時代の友人から観た僕と、今の僕から観た僕は大きく異なっている。
親友と呼べるような友人とは、年に1度程度の集まりにて顔を合わせ、消極的な参加度だけど良くやっていると思う。ここで言う友人たちとは、高校時代のクラスメイトやフットサル友達のことである。当たり前だが、当時は毎日顔を合わせ、いわゆるグループを形成し、昼ごはんやら放課後やら修学旅行やらの青春を一緒に過ごした。しかし、高校卒業後、僕は彼らと距離をとり、それから数えて5年目になる。
僕にとって高校時代の自分はコンプレックスの塊であり、今思い返しても嫌な気分になることが多い。コンプレックスと言っても、僕だけにしかない特別な経験とかそういうものではなく、ごくありきたりな高校生のものだと思う。高校時代のグループの輪にもう一度入ることで、当時の自分が鮮明に思い出され、当時の自分に再会してしまう気がする。僕は当時の自分と比べて、考え方が大きく変化していることを自覚しているし、今コンプレックスと呼べるようなものはない。いまさら、そんな過去の自分を思い出したくないし、考え方を大きく変えてしまった自分を彼らにみせたくない、というか、みせたときの反応を僕が見たくないという気持ちから、あれこれ理由をつけて不参加を丸4年続け、今や疎遠としか言いようがない関係である。
そんな関係を続けてきたが、来月上旬に彼らが集まる飲み会へ参加する、かもしれない。参加することは伝えた。知り合ってから一緒に過ごした時間以上に開いてしまった空白の時間をいまさら埋め、5年ぶりに顔を合わせるなんてことは、僕としてはとても心が重いことだし、未だに本当に行くかどうか悩んでいる。今回も見送ってしまうかもしれない。高校の同窓会とか高校時代の友人たちと飲むなんてことは、普通はそんな大したことじゃないかもしれない。しかしながら僕にとっては、極度の精神力を要するような重大用事である。
どういう顔して行けばいいのだろう。本当はすごく行きたくない。しかしながら、毎回そんな僕を誘ってくれる友人らに対して感謝の思いがあるし、申し訳ないところからくる責任感をとても感じている。
映像は、当時僕が好きだったQueen、中でも好きだった曲「Somebody to Love」
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