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3月からの研究の集大成として、学会で研究発表を行うため、熊本へ行ってきました。学会前の1ヶ月間は、土日も何もないような過労スケジュールだったけど、なんとか実験結果も出てくれたので、特に大きな問題もなく研究発表をすることができました。
振り返ってみると結局、夏休みと言えるような夏休みは1日もなかった。入校禁止期間ですら、大学へ行き、誰もいない研究室で実験をした。特に最後の1週間は、共同生活のように1日中研究室で実験やらデータ解析やらパワポ作りに励み、出発2日前まで実験してました。なんとか良い実験結果がでてくれて、本当によかった。
いずれにしても、学部生で学会発表の機会を与えられるなんてことは全国でもそうはない。今回の発表概要集を見ても学部生で発表する人は10人いなかったと思う(※1本研究室を除いて ※2図鑑のように分厚い概要集なのですべてをチェックしたわけではないけれど)。そんな稀有な経験ができるということで、当初は自ら望んで研究を始めたものの、あまりの忙しさや不満に心が何度も折れ、最後はむしろ発表なんかしたくないと心から思った。それは以前の記事でも伝えたけれど、結局はそんな自由は僕にはないので、無理やりにでもやる気を出させて頑張りました。
本当にあらゆる感情を経験したおかげで、終わってみると言いたいことがありすぎて、なにを書いたらいいのかがわからなくなってくる。学会発表に向けたこの半年間の研究はすごくいい経験になった。楽しいことがほとんどなくて、ストレスを感じることばかりで、月曜に先生とのディスカッションがあるおかげで、全く日曜の休みを楽しめなかったし、先生の無茶振りとか傲慢には本当に悩まされたし、そういえば学会2日目の夜、俺が発表する最終日の前日で、同じ研究班の院生と先生との発表に関するディスカッションが深夜まで続いたとき、今まで何十時間もあてて改良と練習をしてきたパワポ発表が、先生の突然の方針転換のおかげで、急きょ発表内容を変更されたりとか、あのときは本当に先生に対して怒りというか、まさにキレるという言葉が言い得ているような感情を持ったし、なんていうか本当に嫌な経験だった。本当に複雑な感情だ。
携帯電話でなんですが色々写真を撮ったので、見せます。低画質ですみません。
まずは、熊本の電車、なんとなく色合いが好きだったので撮りました。
熊本大学へ行く途中に、太宰府天満宮へ寄り、成功祈願をしました。
熊本大学の校門。発表した教室は教育学部の棟だったんだけど、言っちゃ悪いけど、とてつもなくぼろかった。中学校の教室かって感じで、トイレも汚いし、学食もせまいし。ただ、その後行った工学部の棟はガラス張りだったりコンクリート打ちっぱなしだったり、いかにも最新設備であるかのようなデザインの建物だった。格差ですね。
熊本では路面電車が走っています。すごくおもむきのある内装と外観でかっこよかったです。そして運賃がどこまで乗っても150円。
初日、研究室の同級生らの発表会場。思っていた学会とはかなり異なって、すごくせまい教室での発表だった。僕はこの日の発表ではないので、この教室を見て、ややがっかりした思いもあったけど、すこし余裕を感じた。が、学会最終日、僕の発表する教室を見てとても焦った。この教室の5倍くらいのサイズで、だいたい16-101くらいか少し大きいくらいだった。この教室でのセッションは、先生の知り合いの先生らで構成されているので、発表に対する空気も穏やか、一方、僕が発表したセッションは企業の人が多くいたりと、空気がやや重かった。すげえ緊張した。
発表を終えた後、熊本城へ観光しにいった。とてつもなくでかい石垣に囲まれていて、さすが加藤清正の城だ、こいつは落とせないな、と思う。中学生だらけだった。
出身地だそうですね。先生の無理やりで、熱い中行ってやりました。天才的な能力と神的な境遇を勝ち得ている彼のお話を聞きました。
自分の発表はというと、めちゃくちゃ緊張してやや声が上ずっていたような気がします。あと日大の先生に、実験値にバラツキが多いのはどうして?と聞かれ、だいぶ困りました。僕も知りたいです。反省点の多い発表だったけれど、僕の目的は完成度の高い発表を行うことじゃなくて、研究生活のクライマックスを終えることなので、よかったと思います。結局、発表が学会最終日だったせいで、ほとんど観光できなかったし、名物も食べられなかった。
帰りは、各自で自由に解散するということで、ささっと一人で帰りました。音楽を聴きながら、熊本から博多までの特急の車窓から景色を眺めていると、彼岸花がたくさん咲いていることに気づき、そういえばもう夏は終わったのかと思う。ただただ忙しく、季節の変化を気にすることもなく、夏を過ごしてしまい、なんとなく彼岸花を見て久々の季節感を感じて、気分が良くなった。そしてその後、はじめて一人で飛行機に乗った。朝出発したのに、家に着いたのは夜7時。本当に長い旅だった。
振り返ってみると結局、夏休みと言えるような夏休みは1日もなかった。入校禁止期間ですら、大学へ行き、誰もいない研究室で実験をした。特に最後の1週間は、共同生活のように1日中研究室で実験やらデータ解析やらパワポ作りに励み、出発2日前まで実験してました。なんとか良い実験結果がでてくれて、本当によかった。
いずれにしても、学部生で学会発表の機会を与えられるなんてことは全国でもそうはない。今回の発表概要集を見ても学部生で発表する人は10人いなかったと思う(※1本研究室を除いて ※2図鑑のように分厚い概要集なのですべてをチェックしたわけではないけれど)。そんな稀有な経験ができるということで、当初は自ら望んで研究を始めたものの、あまりの忙しさや不満に心が何度も折れ、最後はむしろ発表なんかしたくないと心から思った。それは以前の記事でも伝えたけれど、結局はそんな自由は僕にはないので、無理やりにでもやる気を出させて頑張りました。
本当にあらゆる感情を経験したおかげで、終わってみると言いたいことがありすぎて、なにを書いたらいいのかがわからなくなってくる。学会発表に向けたこの半年間の研究はすごくいい経験になった。楽しいことがほとんどなくて、ストレスを感じることばかりで、月曜に先生とのディスカッションがあるおかげで、全く日曜の休みを楽しめなかったし、先生の無茶振りとか傲慢には本当に悩まされたし、そういえば学会2日目の夜、俺が発表する最終日の前日で、同じ研究班の院生と先生との発表に関するディスカッションが深夜まで続いたとき、今まで何十時間もあてて改良と練習をしてきたパワポ発表が、先生の突然の方針転換のおかげで、急きょ発表内容を変更されたりとか、あのときは本当に先生に対して怒りというか、まさにキレるという言葉が言い得ているような感情を持ったし、なんていうか本当に嫌な経験だった。本当に複雑な感情だ。
携帯電話でなんですが色々写真を撮ったので、見せます。低画質ですみません。
まずは、熊本の電車、なんとなく色合いが好きだったので撮りました。
熊本大学へ行く途中に、太宰府天満宮へ寄り、成功祈願をしました。
熊本大学の校門。発表した教室は教育学部の棟だったんだけど、言っちゃ悪いけど、とてつもなくぼろかった。中学校の教室かって感じで、トイレも汚いし、学食もせまいし。ただ、その後行った工学部の棟はガラス張りだったりコンクリート打ちっぱなしだったり、いかにも最新設備であるかのようなデザインの建物だった。格差ですね。
熊本では路面電車が走っています。すごくおもむきのある内装と外観でかっこよかったです。そして運賃がどこまで乗っても150円。
初日、研究室の同級生らの発表会場。思っていた学会とはかなり異なって、すごくせまい教室での発表だった。僕はこの日の発表ではないので、この教室を見て、ややがっかりした思いもあったけど、すこし余裕を感じた。が、学会最終日、僕の発表する教室を見てとても焦った。この教室の5倍くらいのサイズで、だいたい16-101くらいか少し大きいくらいだった。この教室でのセッションは、先生の知り合いの先生らで構成されているので、発表に対する空気も穏やか、一方、僕が発表したセッションは企業の人が多くいたりと、空気がやや重かった。すげえ緊張した。
発表を終えた後、熊本城へ観光しにいった。とてつもなくでかい石垣に囲まれていて、さすが加藤清正の城だ、こいつは落とせないな、と思う。中学生だらけだった。
出身地だそうですね。先生の無理やりで、熱い中行ってやりました。天才的な能力と神的な境遇を勝ち得ている彼のお話を聞きました。
自分の発表はというと、めちゃくちゃ緊張してやや声が上ずっていたような気がします。あと日大の先生に、実験値にバラツキが多いのはどうして?と聞かれ、だいぶ困りました。僕も知りたいです。反省点の多い発表だったけれど、僕の目的は完成度の高い発表を行うことじゃなくて、研究生活のクライマックスを終えることなので、よかったと思います。結局、発表が学会最終日だったせいで、ほとんど観光できなかったし、名物も食べられなかった。
帰りは、各自で自由に解散するということで、ささっと一人で帰りました。音楽を聴きながら、熊本から博多までの特急の車窓から景色を眺めていると、彼岸花がたくさん咲いていることに気づき、そういえばもう夏は終わったのかと思う。ただただ忙しく、季節の変化を気にすることもなく、夏を過ごしてしまい、なんとなく彼岸花を見て久々の季節感を感じて、気分が良くなった。そしてその後、はじめて一人で飛行機に乗った。朝出発したのに、家に着いたのは夜7時。本当に長い旅だった。
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