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先日、就職先の内定式に参加してきました。同期のみんなと初めての顔合わせをし、今後の入社までの予定やら研修についてなどの話を聞きながら、わきあいあいと談笑してきました。面接ですでに何人かとは会っていて、知った顔になっていたので、行きの最寄駅で会ったときから、人見知りすることもなくすんなりと仲良くなってきました。特に、採用途中でのやたら長い待ち時間を一緒に過ごしたベトナム人の彼とは、一緒に受かることを互いに祈っていたので、再び会えたときはなんとなくアイデンティティーを感じました。
内定式は、とても質素というか日常的な感じで、ちゃちゃっと済まされ、研修や入社までの勉強課題、寮についての説明を受けました。入社までの勉強課題として、ごくありきたりな専門知識に関する通信教育がありましたが、重要なのは入社後なんですよ。入社後、中国とベトナムにて2ヶ月間の工場研修があるようなんですよ。工場が海外にしかないので、当然、海外研修があるとは思っていたけれど、これほど長期間の海外研修だとは思いもしなかった。海外になんか行ったことないのに、初の海外が広東省とホーチミンだなんて。今後の自分が未知すぎて入社前の不安を煽るにもほどがあるでしょ。
その後、本社から徒歩10分程度のところにある福利厚生施設に併設されている寮の見学へ行きました。来年からは寮に住む予定なので、採用面接の段階から熱心に質問などして関心を寄せていたんだけど、聞いていた感じでは、ごく普通のワンルームだとか。しかしながら、実際に自分で訪れてみると・・・入った瞬間から、そのぼろさに引いてしまった。ここは刑務所かと思わんばかりのぼろくささが発散されていて、ネタにしかならないひどさでした。部屋の片隅に便器が置いてあったとしても違和感がないようなぼろさで、かなり狭い感じのする和室の6畳一間、風呂トイレは共同、とくにトイレは小学校テイストがすごく、ポジティブな発想をもっても、どこにも良いところを見つけることができなかった。どうして、人事の人は僕にごく普通のワンルームだよと言ったんだろう。これは、僕にしてみると普通じゃない。ネタだ。
ぼろくそに言い過ぎても、今後の自分を呪うだけになるから、そればっかりじゃ良くない。実は寮は来年に新しく建て替えられることになっていて、実際に住むのは1か月程度。まあ1か月住むことすら本当はものすごく嫌なんだけど、その後海外研修を終えて日本に帰ってきたころには、新築の寮に引っ越すことになっている。ちょうどその転換期のせいで、老朽化が最大値の寮を見てしまった。その一か月我慢すればあとは新築のきれいな部屋に住み、悠々自適な自宅生活をおくれるはず。
研究のほうでは、学会を終えて今は完全にオフシーズン。毎日研究に追われていた先月までは、毎日のように卒業して会社で働くことを楽園のように考えていたけれど、そういった考えに釘を刺すように、現実味の帯びた社会人像を見せられました。それをもってしても、まだまだ働きたい欲求が収まるわけではないけれど、なにもかもうまくいくわくではなく、ある程度の覚悟が必要なんだと思いました。来年の春から夏にかけては、心身ともに試練の季節になりそうです。
追記:福利厚生施設(ジム、サークル用施設)は本当に充実していて、その点はすごくうれしかった。また、寮費が光熱費込みで格安だったし、来年の忙しさを考えると、貯金はどんどんたまるかもしれない。
内定式は、とても質素というか日常的な感じで、ちゃちゃっと済まされ、研修や入社までの勉強課題、寮についての説明を受けました。入社までの勉強課題として、ごくありきたりな専門知識に関する通信教育がありましたが、重要なのは入社後なんですよ。入社後、中国とベトナムにて2ヶ月間の工場研修があるようなんですよ。工場が海外にしかないので、当然、海外研修があるとは思っていたけれど、これほど長期間の海外研修だとは思いもしなかった。海外になんか行ったことないのに、初の海外が広東省とホーチミンだなんて。今後の自分が未知すぎて入社前の不安を煽るにもほどがあるでしょ。
その後、本社から徒歩10分程度のところにある福利厚生施設に併設されている寮の見学へ行きました。来年からは寮に住む予定なので、採用面接の段階から熱心に質問などして関心を寄せていたんだけど、聞いていた感じでは、ごく普通のワンルームだとか。しかしながら、実際に自分で訪れてみると・・・入った瞬間から、そのぼろさに引いてしまった。ここは刑務所かと思わんばかりのぼろくささが発散されていて、ネタにしかならないひどさでした。部屋の片隅に便器が置いてあったとしても違和感がないようなぼろさで、かなり狭い感じのする和室の6畳一間、風呂トイレは共同、とくにトイレは小学校テイストがすごく、ポジティブな発想をもっても、どこにも良いところを見つけることができなかった。どうして、人事の人は僕にごく普通のワンルームだよと言ったんだろう。これは、僕にしてみると普通じゃない。ネタだ。
ぼろくそに言い過ぎても、今後の自分を呪うだけになるから、そればっかりじゃ良くない。実は寮は来年に新しく建て替えられることになっていて、実際に住むのは1か月程度。まあ1か月住むことすら本当はものすごく嫌なんだけど、その後海外研修を終えて日本に帰ってきたころには、新築の寮に引っ越すことになっている。ちょうどその転換期のせいで、老朽化が最大値の寮を見てしまった。その一か月我慢すればあとは新築のきれいな部屋に住み、悠々自適な自宅生活をおくれるはず。
研究のほうでは、学会を終えて今は完全にオフシーズン。毎日研究に追われていた先月までは、毎日のように卒業して会社で働くことを楽園のように考えていたけれど、そういった考えに釘を刺すように、現実味の帯びた社会人像を見せられました。それをもってしても、まだまだ働きたい欲求が収まるわけではないけれど、なにもかもうまくいくわくではなく、ある程度の覚悟が必要なんだと思いました。来年の春から夏にかけては、心身ともに試練の季節になりそうです。
追記:福利厚生施設(ジム、サークル用施設)は本当に充実していて、その点はすごくうれしかった。また、寮費が光熱費込みで格安だったし、来年の忙しさを考えると、貯金はどんどんたまるかもしれない。
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3月からの研究の集大成として、学会で研究発表を行うため、熊本へ行ってきました。学会前の1ヶ月間は、土日も何もないような過労スケジュールだったけど、なんとか実験結果も出てくれたので、特に大きな問題もなく研究発表をすることができました。
振り返ってみると結局、夏休みと言えるような夏休みは1日もなかった。入校禁止期間ですら、大学へ行き、誰もいない研究室で実験をした。特に最後の1週間は、共同生活のように1日中研究室で実験やらデータ解析やらパワポ作りに励み、出発2日前まで実験してました。なんとか良い実験結果がでてくれて、本当によかった。
いずれにしても、学部生で学会発表の機会を与えられるなんてことは全国でもそうはない。今回の発表概要集を見ても学部生で発表する人は10人いなかったと思う(※1本研究室を除いて ※2図鑑のように分厚い概要集なのですべてをチェックしたわけではないけれど)。そんな稀有な経験ができるということで、当初は自ら望んで研究を始めたものの、あまりの忙しさや不満に心が何度も折れ、最後はむしろ発表なんかしたくないと心から思った。それは以前の記事でも伝えたけれど、結局はそんな自由は僕にはないので、無理やりにでもやる気を出させて頑張りました。
本当にあらゆる感情を経験したおかげで、終わってみると言いたいことがありすぎて、なにを書いたらいいのかがわからなくなってくる。学会発表に向けたこの半年間の研究はすごくいい経験になった。楽しいことがほとんどなくて、ストレスを感じることばかりで、月曜に先生とのディスカッションがあるおかげで、全く日曜の休みを楽しめなかったし、先生の無茶振りとか傲慢には本当に悩まされたし、そういえば学会2日目の夜、俺が発表する最終日の前日で、同じ研究班の院生と先生との発表に関するディスカッションが深夜まで続いたとき、今まで何十時間もあてて改良と練習をしてきたパワポ発表が、先生の突然の方針転換のおかげで、急きょ発表内容を変更されたりとか、あのときは本当に先生に対して怒りというか、まさにキレるという言葉が言い得ているような感情を持ったし、なんていうか本当に嫌な経験だった。本当に複雑な感情だ。
携帯電話でなんですが色々写真を撮ったので、見せます。低画質ですみません。

まずは、熊本の電車、なんとなく色合いが好きだったので撮りました。

熊本大学へ行く途中に、太宰府天満宮へ寄り、成功祈願をしました。

熊本大学の校門。発表した教室は教育学部の棟だったんだけど、言っちゃ悪いけど、とてつもなくぼろかった。中学校の教室かって感じで、トイレも汚いし、学食もせまいし。ただ、その後行った工学部の棟はガラス張りだったりコンクリート打ちっぱなしだったり、いかにも最新設備であるかのようなデザインの建物だった。格差ですね。

熊本では路面電車が走っています。すごくおもむきのある内装と外観でかっこよかったです。そして運賃がどこまで乗っても150円。

初日、研究室の同級生らの発表会場。思っていた学会とはかなり異なって、すごくせまい教室での発表だった。僕はこの日の発表ではないので、この教室を見て、ややがっかりした思いもあったけど、すこし余裕を感じた。が、学会最終日、僕の発表する教室を見てとても焦った。この教室の5倍くらいのサイズで、だいたい16-101くらいか少し大きいくらいだった。この教室でのセッションは、先生の知り合いの先生らで構成されているので、発表に対する空気も穏やか、一方、僕が発表したセッションは企業の人が多くいたりと、空気がやや重かった。すげえ緊張した。


発表を終えた後、熊本城へ観光しにいった。とてつもなくでかい石垣に囲まれていて、さすが加藤清正の城だ、こいつは落とせないな、と思う。中学生だらけだった。


出身地だそうですね。先生の無理やりで、熱い中行ってやりました。天才的な能力と神的な境遇を勝ち得ている彼のお話を聞きました。
自分の発表はというと、めちゃくちゃ緊張してやや声が上ずっていたような気がします。あと日大の先生に、実験値にバラツキが多いのはどうして?と聞かれ、だいぶ困りました。僕も知りたいです。反省点の多い発表だったけれど、僕の目的は完成度の高い発表を行うことじゃなくて、研究生活のクライマックスを終えることなので、よかったと思います。結局、発表が学会最終日だったせいで、ほとんど観光できなかったし、名物も食べられなかった。
帰りは、各自で自由に解散するということで、ささっと一人で帰りました。音楽を聴きながら、熊本から博多までの特急の車窓から景色を眺めていると、彼岸花がたくさん咲いていることに気づき、そういえばもう夏は終わったのかと思う。ただただ忙しく、季節の変化を気にすることもなく、夏を過ごしてしまい、なんとなく彼岸花を見て久々の季節感を感じて、気分が良くなった。そしてその後、はじめて一人で飛行機に乗った。朝出発したのに、家に着いたのは夜7時。本当に長い旅だった。
振り返ってみると結局、夏休みと言えるような夏休みは1日もなかった。入校禁止期間ですら、大学へ行き、誰もいない研究室で実験をした。特に最後の1週間は、共同生活のように1日中研究室で実験やらデータ解析やらパワポ作りに励み、出発2日前まで実験してました。なんとか良い実験結果がでてくれて、本当によかった。
いずれにしても、学部生で学会発表の機会を与えられるなんてことは全国でもそうはない。今回の発表概要集を見ても学部生で発表する人は10人いなかったと思う(※1本研究室を除いて ※2図鑑のように分厚い概要集なのですべてをチェックしたわけではないけれど)。そんな稀有な経験ができるということで、当初は自ら望んで研究を始めたものの、あまりの忙しさや不満に心が何度も折れ、最後はむしろ発表なんかしたくないと心から思った。それは以前の記事でも伝えたけれど、結局はそんな自由は僕にはないので、無理やりにでもやる気を出させて頑張りました。
本当にあらゆる感情を経験したおかげで、終わってみると言いたいことがありすぎて、なにを書いたらいいのかがわからなくなってくる。学会発表に向けたこの半年間の研究はすごくいい経験になった。楽しいことがほとんどなくて、ストレスを感じることばかりで、月曜に先生とのディスカッションがあるおかげで、全く日曜の休みを楽しめなかったし、先生の無茶振りとか傲慢には本当に悩まされたし、そういえば学会2日目の夜、俺が発表する最終日の前日で、同じ研究班の院生と先生との発表に関するディスカッションが深夜まで続いたとき、今まで何十時間もあてて改良と練習をしてきたパワポ発表が、先生の突然の方針転換のおかげで、急きょ発表内容を変更されたりとか、あのときは本当に先生に対して怒りというか、まさにキレるという言葉が言い得ているような感情を持ったし、なんていうか本当に嫌な経験だった。本当に複雑な感情だ。
携帯電話でなんですが色々写真を撮ったので、見せます。低画質ですみません。
まずは、熊本の電車、なんとなく色合いが好きだったので撮りました。
熊本大学へ行く途中に、太宰府天満宮へ寄り、成功祈願をしました。
熊本大学の校門。発表した教室は教育学部の棟だったんだけど、言っちゃ悪いけど、とてつもなくぼろかった。中学校の教室かって感じで、トイレも汚いし、学食もせまいし。ただ、その後行った工学部の棟はガラス張りだったりコンクリート打ちっぱなしだったり、いかにも最新設備であるかのようなデザインの建物だった。格差ですね。
熊本では路面電車が走っています。すごくおもむきのある内装と外観でかっこよかったです。そして運賃がどこまで乗っても150円。
初日、研究室の同級生らの発表会場。思っていた学会とはかなり異なって、すごくせまい教室での発表だった。僕はこの日の発表ではないので、この教室を見て、ややがっかりした思いもあったけど、すこし余裕を感じた。が、学会最終日、僕の発表する教室を見てとても焦った。この教室の5倍くらいのサイズで、だいたい16-101くらいか少し大きいくらいだった。この教室でのセッションは、先生の知り合いの先生らで構成されているので、発表に対する空気も穏やか、一方、僕が発表したセッションは企業の人が多くいたりと、空気がやや重かった。すげえ緊張した。
発表を終えた後、熊本城へ観光しにいった。とてつもなくでかい石垣に囲まれていて、さすが加藤清正の城だ、こいつは落とせないな、と思う。中学生だらけだった。
出身地だそうですね。先生の無理やりで、熱い中行ってやりました。天才的な能力と神的な境遇を勝ち得ている彼のお話を聞きました。
自分の発表はというと、めちゃくちゃ緊張してやや声が上ずっていたような気がします。あと日大の先生に、実験値にバラツキが多いのはどうして?と聞かれ、だいぶ困りました。僕も知りたいです。反省点の多い発表だったけれど、僕の目的は完成度の高い発表を行うことじゃなくて、研究生活のクライマックスを終えることなので、よかったと思います。結局、発表が学会最終日だったせいで、ほとんど観光できなかったし、名物も食べられなかった。
帰りは、各自で自由に解散するということで、ささっと一人で帰りました。音楽を聴きながら、熊本から博多までの特急の車窓から景色を眺めていると、彼岸花がたくさん咲いていることに気づき、そういえばもう夏は終わったのかと思う。ただただ忙しく、季節の変化を気にすることもなく、夏を過ごしてしまい、なんとなく彼岸花を見て久々の季節感を感じて、気分が良くなった。そしてその後、はじめて一人で飛行機に乗った。朝出発したのに、家に着いたのは夜7時。本当に長い旅だった。
オリジン弁当も三日目になり、おばちゃんの顔も覚えて、手を握られるようにお釣りを渡されることに若干の嫌悪感を抱く今日の夜。大雨ですね。そんな僕はと言えば、明後日熊本へ旅立ちます。一週間弱の出かけになるので、その前に一言ここに記しておきます。Belle & Sebastian風に書いてみました。根拠はないけれど。
TOKYO!を観てきた。ミシェル・ゴンドリーとレオス・カラックスとポン・ジュノの3監督による、それぞれの視点から捉えた東京を舞台にした物語からなる3部作映画である。知っている人も多いと思うが。エンディングの音楽をHASYMOが担当しており「Tokyo Town Pages」が使用されている。
ミシェル・ゴンドリー、HASYMO、東京とキーワードを揃えられては観るしかない。結論から言うとすごく面白かった。観る前に考えていた内容とはかなり異なっていたが、良い意味で裏切られた感じだ。キーワードの3つにときめきすぎて、観る前にコンセプトだとかストーリーを大雑把にしか把握していなかったのが原因だと思う。
あくまでこの映画は、東京については語っていない。3部作であるが、3つとも直接的に東京とはこうだああだなどの意味を込めたものではなく、作品を作る上でその舞台が東京であるということでしかない。東京なら、こういう物語になるはずだ、こういう人間がいてこういう展開を見せるはずだ、と。TV番組の外タレへのインタビューのように、好きな日本食は?覚えた日本語は?日本は好きですか?のようなありきたりで答えが決まりきっているようなレベルの発想では全くもってない、もしくは東京についてのイメージや問題点が直接的に結論から述べられているようなドキュメンタリー作品でもなく、あくまで東京を舞台にした、というだけである。東京について考えるということは同じだが、その東京を自分の中でシミュレーションし、その世界で展開されたことを映像化したという感じだ。
出演者がほぼすべて日本人である。東京を舞台にしているから当たり前かもしれないが、外国人が東京を舞台にして、日本人の人間関係を表現し、しかもその表現がなんとなく日本っぽいのだからすごい。純粋で客観にかなり近い考えをもって、この作品の前提である舞台の東京から、ボトムアップ的に人間関係の構築させていくと、必然的にそうなるのかと考えたけれど、これはとても難しいことだ。
3つの作品ですべてに感じたのが、どの物語もすごく日本のマンガっぽいことだ。物語のポップ感には日本のマンガに似たものを感じた。特にミシェル・ゴンドリーとポン・ジュノの作品における、恋人や友人の人間関係だったり、主人公の考え方の切なさには日本人特有の気の使い方というか、か弱さが感じられて、わかっているけど実行できない複雑な心境や動揺にはすごく共感した。そして青春マンガを読んでいるような気分になった。
一方、レオス・カラックスの作品がまた違う方向の視点から作ってあるから面白い。どう面白いのか表現したいが、なかなか難しいのでここまで。
追記:ミシェル・ゴンドリーの作品の主人公の女の子の外見と考え方がすごく可愛らしく、印象深かった。そして、観た後にスティーブン・セガールの娘と知ってさらに印象に残った。
体調が悪いというのに、送別会という飲み会に参加して、ストレスを発散しようと言うばかりに酒を飲んだものだから、気分が最悪だ。酒を飲むとビタミンやらそういう人間が体内で生成できないものが一気に失われていく感じがして、ひどく自分の身体が心配になる。栄養バランスをいくら考えて生きようと、一度の無理でそのほとんどが無になる気がする。
大好きだった酒が今や苦手だ。コミュニケーションの一環として飲み会はとても重要であると思うが、ここ最近、自分には向いていないんじゃないかと思うほど、後悔することが多い。言わなきゃいいことだったり、やらなきゃよかったことが、飲み会後、酔いがさめてきてからじわじわと思い出されてくることがある。酔いに任せて大きな過ちを犯してしまったとか、そういうやましい意味ではなく、もっとささいな意味でだ。たとえば、言わなきゃ問題にすら挙がらないような自分や他人の小さな秘密をほのめかしてしまったり、余計な批判を展開させてしまったり、だ。酒に酔って気分が大きくなっているせいで面白くしようとして、つい大げさに話したり、極端に言ったりしてしまう。結局のところ言う必要はなかったというのに、言ってしまったと、それがいかに些細なことであろうと、必要か必要でないかは別にして、自分でも意外なくらい後悔する。
飲み会という、勢いのある酒にはここ最近、身体と気持ちがついていかないことが原因だ。無理して高ぶらせるものだから、なにかしらのやりすぎた感が生じてきて、後悔につながっている。今の自分には、大きな声を出して、がつがつとつまみを食い、ぐびぐびと酒を飲むようなことはできなくなっているのかと思う。20代前半にしてそういうときが来たのかもしれない。そういう飲み会がいけないとか、嫌いだ、という意味ではなく、自分がするには難が生じると意味だ。今の自分にはせいぜい2~3人のこじんまりとした酒が合っているんだと思う。その方が、本当に好きな話だけをしやすいし。
さて、反省文のような記事になってしまったが、この記事のメインテーマは東京国際フォーラムにて行われるレディオヘッドのライブのチケットが届いたことについてである。先日の記事でも軽く書いたが、10月上旬のライブに行く。全く納得のいかない高額チケットだが、東京国際フォーラムということとレディオヘッドのライブ映像を見てしまったことで、気持ちが大きく動き、買ってしまった。およそ12000円という高額だが、せっかくだからとS席にしてみた。そのチケットが昨日届いた。そして驚く。チケットを見てみると座席番号は2階の後方だった。S席というのに2階席も含まれていて、さらに前列でないということに驚いた。先行予約には5000円の年会費が必要ということで、クリエイティブマンにそんな金額を払う気にはなれず、今回は先行予約ではなく一般発売でチケット買ったので、なんとなく前列の座席になるのは難しいと思っていたが、ここまで悪い席になるとは考えてもいなかった。この席でS席というのであれば、A席はどうなってしまうのだろうか。今までもクリエイティブマンには嫌悪感を抱くことが多かったが、今回もすごくがっかりだ。
しかしながら、レディオヘッドのパフォーマンスは超楽しみである。後ろでゆっくり座りながらじっくり聴けというお告げなのだろうか。それはそれでいいのかもしれない。東京国際フォーラムだしね。